愛車かえる。 ~新旧デミオ考察~

やっと我が愛車が帰ってきた。
昨日の夜、8時過ぎに店に電話したらもう既に仕上がっているという。
つーか月末の忙しさにかまけて連絡を忘れていたっぽい。まったくもー。

代車のDWに乗って9時前に店に到着。
洗車され、ピカピカになっている我が愛車。もう俺ご機嫌。なんつーか単純だな俺。たったこれだけで元気になっちゃうんだから。
先日からさんざっぱら「代車のDWがイイ!」とか騒いでおきながら、自分の愛車に戻ってくるとやはり「俺の車のほうがイイ!!」となるんだなぁ。
DWと比べると、やはり重いという感じはする。実際に目方はかなり重い。
だがその分、走っているときの安定感はやはりDYの方が上である。なんというかどっしりとしている。適当にステアリングを握っていても車があらぬ方向を向くことは無いという安心感がある。
まぁ、DWよりDYの方が新しいんだから当然だけど……。

だが、サービスマンのヤマネ師と駐車場にならんだDYとDWを眺めながら
「でもやっぱDWも捨てがたいんだよな~」
と意見を交わしたのだった。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/megadorazanmai/20190829/20190829231219.jpg
                ↑コイツが『DW』

やはりDWはあの余りにもあんまりなそっけなさが素晴らしかった。
とりあえず余ってたフィエスタの車体に適当なエンジンとタイヤくっつけて箱のせました感全開な外見だけでなく、中から見ても「ワタシ、プラスチックでできてます」とゆー潔い主張が見る者に妙な説得力で迫ってくる。
汚れようが擦れようがぶつけようが全てお任せ。「ボク実用車です。全部アナタに従います」
とゆー健気ささえ感じるのである。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/megadorazanmai/20190829/20190829231223.jpg
                ↑コイツが『DY』

対してDYはマツダzoom-zoomの合言葉のもと渾身の力で世に送り出した気合入りまくりマシンである。
特に初期型はスーパーコージーなる本皮仕様まで存在した本格派。見た目もちょっとアルファロメオ風にコジャレてみて「ワタシ、都会チックでしょ?」とゆー主張が聞こえてきそう。
こーいう車は汚れてたり擦れてたりぶつけてたりすると全く持ってサマにならない。
そんな状態でほったらかすと「ああ、この車のオーナーみっともないなぁ」と見る者から見れば思われてしまうのである。

店には代車にDW、DY、ともに用意がある。
お客さんとしては「代車に乗るなら新しい車のほうが良い」というのが当たり前だろう。

だが、ヤマネ師とワタシの見立てでは、DYよりDWの方が代車として優れているのだ。

DWならお客さんに「多少ボコボコにしても構いませんヨ」といった感覚で送り出せる(ホントにボコボコにされたら困るが)。お客さんも何の疑問も抱かず「あ、そう」といった様子で乗っていく。
DYだとお客さんに同じことを言っても「いや、そういうわけにはイカンでしょう」と思われる可能性大である。
更にDWなら多少ベッコリ逝ってようが汚れていようが、お客さんとしては「なんだか古い車だナー」程度の感想で乗っていく。
しかしDYになるとベコベコになって汚れていると「何だよ、このみっともない車は!」と思われかねないのである。

多忙を極める店の中ではズバリ代車の汚れなど省みる余裕は無い。(ホントは綺麗にするのが当たり前なんだけど……。)
そう考えると、同じ汚れた車でもDYよりDWを出す方がお客様満足度は上なのだ!
年々高級化が進んでいくクルマ社会に一石を投じたクルマ、それがDWデミオなのである。
正直な話、目の前に1,5リッター4ATのDWデミオとDYデミオを並べられて「どっちか好きなほう乗って帰っていいよ」と言われれば俺は猛烈に悩む自信がある
いや、車のデキとしてはどう考えてもDYなのだが、DWとのお気楽ノーテンキ生活も捨てがたい。
前者が毎日ユニクロでそろえた服を着て池袋の丸井でショッピングを済ませ、リブロで話題の新刊をチェックし、ヒューマックスでシネマを楽しむ生活(あくまで池袋ではあるが)とすれば、
後者は常にジャージで買い物はドンキホーテに出かけ、コンビニで立ち読みしてから帰りにパチスロ北斗の拳に血道を上げる生活である。

男やもめの一人身にとってはどっちが魅力的な生活だろうか?

うむ、非常に悩ましい選択だ。

とゆーわけで店で二台のクルマを並べて眺めながら深遠なるクルマの世界の深さを改めて思い知った今日この頃なのであった。(穿った見方し過ぎという声もあるが)