人より法律の方が信用できる。

今は人より法律や社会のしくみの方が信用できる社会なのだろう。

そんなことをこの記事を見て思った。


「最期まで自宅」は1割、国の目標と乖離
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080606-00000002-cbn-soci


死ぬ時は畳の上ではなく、病院や施設のベッドで死ぬ方が良いそうだ。
そう思うお年寄りが多いらしい。
この中には恐らく、「人に迷惑をかけたくない」という思いでいる人々も多いだろう。
だが昔は誰かしらに迷惑をかけつつも自宅で看取られる人が多かった。
死出の旅立ちくらい、多少の迷惑をかけても良いだろうに。
だが今の人々にその迷惑を許す余地はない。

実際、うちの母方の祖母も痴呆を患い山口で病院暮らしだ。
山口には叔父がいるが、家庭の事情で在宅介護は出来ない。
そうなるとウチで引き取るか、といえば、ウチの実家の祖母もいることだし、あれやこれやと理由をつけて引き取ることは出来ない。

ボケている当人にはよくわからないだろうが、もしこれが痴呆ではなく他の障害だったなら自分の子供たちがあれこれと自分の行く末を一族同士で押し付けあっているのを見て、「だったら病院でエエがな」と叫ぶことだろう。

そういうことを考えてのこの記事の調査結果があるのだろう。

別の言い方をすれば、家族よりプロの方が楽。

まぁ、どちらにせよその考えも先立つものが無ければ成立し得ないのだが。
さぁ、その先立つものが無い人々はどうすればいいのだろう。

年寄りで、お金を生み出すこともないから。。。。いらないか。


そういうことだよな。後期高齢者医療制度とかも。


それぞれに人を顧みる余裕がないから全てを社会に託す。その社会からあぶれる人間はのたれ死ぬ。メインで社会を動かす人々はそのことに目をつむる。もしくはもうある程度の稼ぎがあるから無関係。


話はそれるが、最近やたら法規制が論議されるのもその延長線上なのかな。
子供の携帯の問題とか。

そんな子供の携帯のことまで構ってられないよ。こちとら学費稼ぐのと自分のことで大忙しなんだ。
そーゆーメンドクサイことは全部国に任せました。

法律規制が必要なことは当然多々あるだろうが、裏ッ側にあるそういう冷め切った本音が垣間見える。
そのことは誰もが見て見ぬ振りをしなければならないわけだが。

もし声高に叫んでみなさいよ「空気読めない」レッテル貼られてパージされちゃうから。