『流刑民から見た世界史』 オーストラリアその3

とゆーわけで我がオーストラリアは着々と工業力を増強しつつある。

IC(工業力)が増えると、(軍隊を養っていないので)その分余剰な『消費財』を作ることができる。
余剰な『消費財』はお金になって返ってくる。ようやっと我が国にも使えるお金が生まれ始めた。
お金があれば外交ができるわけである。
だが、外交には戦略が必要なわけで、適当に事なかれ主義を貫く我がオーストラリアにはコレといった戦略もクソも無いのであった。
おそらく日本は南進を始めるであろうからそれを牽制すると言う意味でも中国国民党とはつながっていた方が良いか? とゆーことで何となく国民党と友好度を上げる。
だが今のところ世界で一番緊迫しているのは欧州である。この後、ドイツが膨張主義で勢力を伸ばすことは明らかであり、連合国陣営の我が国もそれを見過ごすことはできない。史実ではフランスは併合されてしまうのだ。

かといって地球の裏側からコレといったいい知恵も浮かぶことも無く……。

よし、金ができたから諜報活動だ!
とゆーことでドイツにスパイを送り込む。
あと、今後ドイツをやっつけたあと、確実にソ連も膨張を始めるはずなのでソ連にもスパイを送り込む。
考えうる一番良いパターンはフランスが生き残り、ドイツがもたもたしている間にソ連に攻め込まれ、
最後は連合国とソ連の最終決戦をいい形で始める。とゆーのが理想である。まぁ理想は理想であるからして、えてして現実はより悪い方へと転がるものであるが……。

そうこうしている間に歴史は回り始める。
中国では日本との緊張の高まりで西安事件が発生。国民党はひとまず共産党との戦闘を休止。
その後、遂に盧溝橋事件が発生
中国国民党は広西軍閥やら他の軍閥やらと中国統一戦線を張って日本と戦争を始めた。

欧州ではドイツがオーストリアを併合した後、チェコスロバキアのズデーデン地方も併合。その後、チェコスロバキア本国も併合しようと脅しをかける。史実ではあっさり併合されるチェコスロバキアではあるが、ここでは何をどう間違ったか意地を見せて戦争を選択。当然ドイツはチェコに宣戦を布告した。

お? コレで少しはドイツの対外膨張の脚を引っ張ることができるか?
とも思ったが、そううまい話は無く、三週間足らずで戦闘は終了し、あえなくチェコスロバキアはドイツに併合され地図上から姿を消した。
勢いに乗ってドイツは史実よりも一週間ほど早くポーランドにも宣戦布告。宥和政策の破綻を思い知ったイギリス、フランス連合各国はドイツへの宣戦を布告した。
ポーランドも史実どおり戦備拡張中のドイツ軍の敵ではなく、あっという間に併合されてしまったのだった。
イギリス・フランスは宣戦はしたものの、史実では直接ドイツのポーランド侵攻中には戦端を開かなかった。ゲーム内でも直接ドイツへ侵攻することは無く、ドイツによるベルギー・オランダ侵攻まで続いた『花戦争』よ再びか? と思った矢先、ドイツのポーランド侵攻と時を同じくしてイギリス・フランスはドイツ本国への猛爆撃を敢行し始めた。ドイツとチェコの軍事衝突を見て頭に血が上ったのだろうか……。
爆撃にめげず、ポーランドを併合したドイツは報復爆撃を開始。
欧州戦線は空での戦いから幕は切って落とされた。
我が国は欧州戦線に送る兵力も無ければ効果的な航空機を生産する技術も無い。
とゆーわけでちょこまかと少ないお金をつかってドイツに潜入させたスパイに工作活動を指令。
ドイツの技術研究を妨害したり、戦艦ティルビッツの生産を遅らせたりと微々たる形ながらもドイツへの攻撃に協力したのだった。
それが効を奏したのか(どうみても爆撃を受けて空軍力を動員できなかったからだろうが)ドイツはデンマークノルウェーへの侵攻を断念した。この時点では一つの勝利といっても良かろう。

だがしかし、歴史はそう甘くは無い。ドイツはこの事態の打開の為、1940年5月2日史実より一週間早くオランダ・ベルギー・ルクセンブルクに戦線を布告。フランスのマジノ線を避けて、怒涛の如くパリへと進撃したのであった。
イギリスはどうやらフランス本土に陸軍戦力を送っていなかったらしく、数に劣るフランス軍は戦闘開始から間もなく戦線が崩壊。あっという間にパリを落とされてしまった
フランス軍は各地で散発的な抵抗を試みるものの結局は悪あがきに過ぎず、結局史実よりも10日以上早い1940年6月30日、フランスにウィシーフランス政権が発足。ドイツに降伏したのだった。

うーん。ドイツ軍には勢いがあるぞ、それこそこのままバトル・オブ・ブリテンでイギリスが敗れてしまっては連合側の勝利は絶望である。
だがスパイからの情報によれば、ドイツはほとんど海軍兵力を増強していないようである。よほどのことが無い限り、イギリス本国が落とされることは無いだろう。……と、今はたかをくくっておくことにする
事実、その後ドイツはアルバニアに宣戦を布告した。これからバルカンを攻め落とすつもりなのだろう。イギリス本土上陸は無いと見た。

と、まぁ、ここまでは遠く欧州で発生した歴史の顛末であったのだが、正直なところ、まぁあんまり関係ないね~のスタンスで見ていたのだが、ところがどっこい。こっち側にも影響が波及してきた。
なんとヴィシーフランスが仏領インドシナ全土を日本に割譲してしまったのだ。
史実ではヴィシーフランスは北部仏印への日本軍の駐留を認めただけである。ちょっと気前良すぎ!
一気に東南アジア全土に向ける橋頭堡を日本は確保してしまった。しかもシャムとも軍事同盟を締結。いつでも英領マレー半島やら蘭領インドネシアを伺える体制を整えてしまった。
問題である。
そろそろ工業力だなんだと言えなくなってきたような気がするぞ、コレは。

欧州戦線は捨て置いて東南アジアで日本と対峙するか、それとももう少し様子を見るか? 日本は中国戦線で南京を制圧したものの、未だ中国統一戦線との泥沼な戦闘を続けている。
どうしたものか?
アメリカと日本が戦争を始めてくれれば、これほどありがたいことはないのだが引き続きアメリカは孤立主義に大きく舵を取っており、アメリカからの宣戦は期待できない。どうすればアメリカを連合陣営に引き込むことができるのだろうか?
ここはチャーチルも頭を痛めたところである。
一番手っ取り早いのは日本が枢軸陣営に加わった後、アメリカに宣戦してくれることだ。
そうすればアメリカとしては連合陣営に加わらざるを得ない。
日本の真珠湾攻撃を知ったときチャーチルが狂喜したのはこのことがあったからだ。
でもそうは問屋が卸さないんだろうなぁ。

我がオーストラリアは岐路に立たされている。ただ自らが生き残ることだけを考えるべきか。それとも連合の勝利に貢献すべく、軍隊を派遣すべきか。もし軍隊を派遣するのならば、それはどこか?

そしてバルト三国を併合したソ連の動きは?

歴史の流れは未だ予断を許さない。