『流刑民から見た世界史』 オーストラリアその6

とゆーわけでその6である。
つーかこの『ハーツオブアイアンⅡ・ドゥームズデイ』のリプレイもはやくも6回目である。でもまだ1943年。終了時間の1953年までまだ10年近くある。先はまだまだ長そうだ。

とゆーわけで1943年の半ばまででほぼインドシナを制圧した連合軍であるが、実はその間、我がオーストラリアは日本領インドシナ南部地域と現在のカンボジアの占領に成功したのであった。

このゲーム、占領した地域は占領部隊が出発した国のものになるルールとなっている。
イギリス領ビルマから進軍した我が軍がいくら占領地を増やそうと、イギリス領から出発している限りそれはイギリスの占領地になるのである。
こっちががんばってるのに全部イギリス領になるのも癪なので(イギリスからいっぱい援助をもらっている恩は一切無視)ここで我々は一計を案じた。
シャムの降伏と共に現在のカンボジアが自由フランス政府領となった。
我がオーストラリアは日本領インドシナへの侵攻を始める直前、その土地の一部を自由フランス領から資源5000の大枚はたいて買い取ったのである。
何らかの資源が採掘される土地は絶対売り渡さないAIではあるが、今回オーストラリアが希望したのはカンボジア北部のジャングル以外何も無い不毛の土地。そんな土地を買ってどうするのかと言えばそこから軍を進軍させてオーストラリアの占領地をふやしてしまおうという腹づもりである。
残りの自由フランス領カンボジアを守る軍備を自由フランスは用意できない。どうせ日本軍に占領されるのがオチである。それを取り返せばまるまる我が領土だ。

とゆー我がオーストラリアの黒い策謀はまんまと成功し、シャムの東側、インドシナ半島の南半分は我がオーストラリアの占領地となったのだった。しめしめ。
つーわけで火事場泥棒チックに領土拡張に成功した我がオーストラリアなのであった。

ここで今後の展開である。
インドシナに進駐していた日本軍は今現在全て中国との国境線上に閉じ込められている。
こんなものはさっさと撃退して向後の憂いを断ち切りたいところであるが、それを包囲する連合軍にはまったく攻撃の意思は無いようである。ひたすら睨み合っている。
それならば我がオーストラリア陸軍が引導を渡してくれようと10個師団を投入して攻勢をかけるも、塹壕に篭って必死の防戦を続ける日本軍に追い返されてしまったのであった。
経験上、あと何回か攻撃を仕掛ければ日本軍を殲滅できるような気もしたが、突撃のたびに損害をこうむるのは当事者のオーストラリア陸軍である。そして前線で損害が出ればその損害は我が国の労働力でもって補填される
残りの労働力は70強。歩兵部隊1個師団あたり10であるからあと、7個師団しか増強できない計算だ。
それだけしか無い労働力をもうこれ以上いたずらに消耗することは避けたい。
とゆーわけで日本軍への攻撃は手控え、我々も睨み合いの陣中に加わることにした。
更に都合のいいことに連合軍が陣取るインドネシア北部はイギリス軍の占領地である。そこに陣取っている限り部隊の維持費は全部イギリス持ち。変に南インドシナの占領地で無駄飯食っているよりも余程経済的
とゆーわけで我がオーストラリア陸軍はイギリス様のおごりで日本軍を酒の肴にのんびり高みの見物としゃれ込んでいた。

パールハーバーに端を発した1941年末からの日本軍の攻勢は思ったよりも小規模のものだった。
日本領インドシナからの進軍以外では、フィリピン、ボルネオ島マレー半島の付け根に部隊を上陸させたものの、マレー半島ではシンガポールを直前にして睨み合いを始めたし、ボルネオ島の占拠も遅々としている。フィリピンもなかなか落とせないようだ。攻撃部隊の総数が少ないのだろう。
東南アジア侵攻に余りやる気が感じられない。

だが、それにも増してやる気を感じられないのはアメリカである

一気に空母機動部隊をおして日本海軍と雌雄を決するかと思いきや、フィリピンに機甲師団を上陸させたのと南太平洋の小島を2,3攻略しただけで満足してさっさとお引取りになってしまった。

「バカヤロー、戦争なんてやってられっかアメフトの試合が始まっちまうよ!」

といったスタンスである。

あちらさんにあんまりやる気が無いので、こちらだけががんばるのもなにやらバカらしく、これといった行動は起こさない。
律儀なカナダさんはボルネオ島機甲師団を上陸させた。
対して日本軍のボルネオ進駐軍は歩兵師団のみである。到底機甲師団には太刀打ちできない。のであるが、ボルネオ島はふかーい密林に覆われたジャングル島。そこではカナダの機甲師団より日本の歩兵部隊のほうが足が速い。とゆーわけで、決して戦闘では勝てない日本軍を決して追いつけないカナダ軍が追い回すという不毛な鬼ごっこで両軍はボルネオ島を何周もぐるぐる回り続けたりしてたのだった。
そうこうしている間に世界はあらぬ方向へと迷走し始めた。
ロシア戦線ではバルバロッサ発令から半年しか経たない41年12月、フィンランドがいきなり赤化、共産陣営に加わり対独宣戦布告。史実では独ソ戦終盤で寝返ることにはなるがちょっとこりゃあ早すぎやしないかい?
ドイツ軍の侵攻速度はなぜか遅々としており、じわじわと進撃はするものの電撃戦の華やかさはまったく垣間見られない。41年中にはモスクワはおろかレニングラードにも達することができない体たらくである。
もしかしたらバトルオブブリテンでの戦力消耗が予想以上だったのかもしれない。各国の撃沈記録を参照すると、イギリス海軍にドイツの輸送艦が20隻以上沈められている。あしか作戦(イギリス本土上陸作戦)は決行されたが頓挫したのである。撃沈された輸送艦全てに兵員が乗っていたとすれば、20個師団以上を失っているのだ。
しかしスパイからの情報によると、戦力自体はソ連よりもドイツ側のほうが優勢。
その数字どおり負けているわけでは無いらしく、牛歩の如くじわじわと戦線を東側へと推し進め、43年の終わりごろにはなんだかんだいいつつもモスクワを占拠。勝負ありかと思いきや、しかしそこでぱったりと足が止まってしまったのだった。

一方、東西に分断された北アフリカ戦線は中東の東部戦線は早々に終了し、アフリカの西部戦線アメリカ軍が西アフリカに上陸したことでイタリア軍を東西挟撃して追い散らした。
その後、連合軍はサルディニア島を占領するがその後は全く冴えが無い。ヴィシーフランスがいつの間にか併合されていてドイツ領となったマルセイユに中途半端に4個師団なんて上陸させた挙句地中海に叩き返されたり、イタリア海軍にボコボコにされたりしている。そのイタリア海軍をボコボコにするはずのロイヤルネイビーは未だ北海と大西洋沿岸で壊滅したドイツ海軍の幻影を追ってふらふらとしているのだった。おーい。
とゆーか地中海はイタリア海軍の独壇場である。1944年の半ばまでになんと米英軍の航空母艦を5隻撃沈している。

凄いぞ! 強いぞ! イタリア海軍!!

そしてとにかく救いようが無いのがアメリカ。
フィリピンやら地中海に援軍を送るのはいいのだがほとんど護衛もつけていないらしく、端から沈められている。結果、太平洋と地中海で失われた輸送艦はざっと50隻。全部に兵隊が乗っていれば50師団を失ったことになる。一体何やってんの。いくら無尽蔵の工業力を誇るといってもそりゃないでしょう。
そして、その輸送艦群を守るはずのアメリカの機動部隊はニューヨーク沿岸で油を売っていたり、フロリダ沖でバカンスの真っ最中。……ルーズベルト出て来い、ぶん殴ってやる!
西はアフリカから東はインドネシアまであまねく前線に顔を出すカナダさんの爪の垢でも煎じて飲ませたいものだ。

お陰さまで太平洋やインドネシア周辺海域の制海権は日本軍の独壇場である。インドシナのオーストラリア占領地への補給基地であるトンキン湾のダナンとオーストラリアとを結ぶ補給航路はもはや死の航路と化していた。補給船団が作ってく端から沈められるわ沈められるわ。当然占領地は干上がってしまい、自走ロケット砲を随伴させている歩兵師団が石油不足で身動きとれず、補給の受けられるイギリス占領地まで逃げ出す有様。
くそ、海の上は米海軍とロイヤルネイビーにタダ乗りだと思っていたのがとんだ見当違いになってしまった。

とまぁ、あんまりにもふがいない米英軍のお陰で連合軍の攻勢が思うように進まぬまま無為に年月が過ぎ1944年を迎える。なんだかやる気の無い大将にこっちも何となく「なんだかなー」とだらけてきた頃、とんでもないニュースが飛び込んできた。
日本が中国に勝っちゃった!!
1944年4月22日、中国国民党蒋介石政権は日本に降伏。それにあわせて中国各地で日本軍への抵抗を続けていた各軍閥も日本に全面降伏。中国は汪兆銘傀儡政権によって統一、独立し、日本の属国となってしまった。日本の属国である中国はすぐさま連合軍に宣戦を布告

マズイ! これはマズイですよチャーチルさん! 

こうして1944年を迎え、歴史は更にとっちらかって想像を超えたあらぬ方向へ向かっていくこととなる。