『流刑民から見た世界史』 オーストラリアその7

とゆーわけでその7である。戦いもいよいよ佳境に入ってきた。

1944年4月の日本による中国併合により、あっという間にインドシナから現在のバングラデシュまでの中・英国境線が最前線となってしまった。
アメリカ軍がほとんど頼りにできないアジア戦線の連合軍にとっては非常に苦しいと言わざるを得ない。
日本陸軍も当然手ごわいが、超人的資源大国、中国の非常識なまでに沸いて出てくる歩兵部隊も相手にせにゃならん。いくらなんでも荷が重過ぎる。
そして
中国戦線を終結させた日本軍は遂に南進を本格化させた。
怒涛の如く東南アジアに押し寄せる日本軍。
あれよあれよと言う間にインドネシアの島々が次々と上陸、占拠される。そして当然インドシナにも上陸してきた。ああ、豪州領インドシナがあぶない!

我がオーストラリア軍は中国との国境線上に展開中。南下してインドシナの占領地を守ろう
……とも考えたが、はたと冷静になって考えてみる。はっきり言って補給船団が届かず干上がったインドシナなど戦略的に見て何の価値も無い。それより日本軍はインドネシアスマトラ、ジャワ、スラウェシ島を占領してしまった。本国のダーウィン基地も小規模ながら攻撃を受けている
占領地どころじゃないですよ、

もはや本国が危ない

かくしてオーストラリアは豪州領インドシナの放棄を決定、至急展開する部隊を本国へ呼び戻すことにした。
大急ぎでありったけの輸送艦部隊を出航させる。一番の最短距離はバンコク湾にある現カンボジアの港である。だがどう考えても今頃インドネシアの内海は作戦行動中の日本海軍がうじゃうじゃしているはず。そんな中へ船を出すのはどう見ても自殺行為だ。

とゆーわけで危険なインドネシアの内海を避け、大回り。豪州大陸南岸の港から遠くインド洋を経由してラングーンから部隊を連れて帰る事にした。
この読みはまんまと当たり、輸送艦部隊は乗せられるだけの部隊を船に押し込み本国への陸軍部隊の輸送を成功させたのだった。
ちなみにラングーンからの帰り道、ジャワ島南岸を航行中、くしくも同じ時間にジャワ島北岸を無邪気に航行していたイギリスの輸送艦血に飢えた日本艦隊の餌食になる様を見て、まかり間違えば同じ運命をたどるハメになったと冷や汗を流したのだった。

ひとまず第一次本国輸送作戦は実を結んだ。しかし大陸には輸送艦に乗り切らなかった部隊、全軍のおよそ半数である11個師団が中国国境に残されている。コイツも何とか本国に呼び戻さねば。
しかしこれから激化する中国戦線に張り付く連合軍は我が軍を含めて70個師団強。我が軍の兵力が抜けるのは非常に痛かろう。
だが、いまだ欧州の西部戦線は構築されていない、こちらに戦力を割く余裕は十分あるはずだ。イギリスから見れば「オーストラリアは自分の国のことしか考えて無いのか!」というそしりを受けるかもしれない。
だが、である。
インドネシアの石油を日本に渡しちゃイカンでしょう!
と声を高らかにして叫びたい。
なんとか本国を守りきり、更にはインドネシア奪回への橋頭堡としなければならない

今のところ、日本はほとんど産油地域を持っていない。これは艦隊の運用にとって大きな制約になる。
いくら大艦隊でも燃料が無ければ身動きが取れないのだ。身動きが取れなければ単なる鉄屑同然である。
主な産油地域はほとんど連合国の植民地であるから外交ルートでの入手も難しいはずだ。日本にとっては手持ちの備蓄燃料だけが彼らの生命線である。
だが、石油を産出するインドネシアを手にして燃料の問題をクリアした日本艦隊はそれこそ我が物顔に太平洋を蹂躙しまくるに違いないのだ。
本来ならアメリカ軍が何とかしてくれるはずなのだが、彼らの主力艦隊は未だマイアミビーチでリゾートを満喫中。奴らのへの殺意は今は押さえ、何とか反抗作戦を考えねば。

といっても主力艦隊が既に全滅しているオーストラリア海軍にとって強力な日本艦隊に抗う術は無い。
今から艦隊を編成し始めたところで主力艦が就役するのはおよそ1年後。しかもそれでも1年後にそろう艦艇数は日本艦隊の十分の一にもならないだろう。海軍力の編成には時間がかかるのだ。
さらに海軍関係はすっかり同盟国をアテにしていたので技術も未だ第一次大戦時の技術に毛が生えた程度。対して日本は自他共に認める海軍先進国である。
質量共にお話にならない格差である。
制海権の確保は絶望的といえよう。とゆーわけで我がオーストラリア軍は制海権の全く無い状態で戦うこととなる。

とゆーか、制海権の無い状態でインドネシアを奪い返せるのか? 頼みの綱であるロイヤルネイビーよいずこ?
と思いきや、未だ地中海でイタリア海軍とじゃれ合っているのであった。

ええい、もうコモンウェルスなんて脱退だ! 自分の国は自分で守ってやる!!

と、啖呵を切ってみるものの、勝算の無い戦いを前に『敗北』の二文字が目の前にちらつくのであった。