『流刑民から見た世界史』 オーストラリア最終回

とゆーわけで最終回である。
何だかんだ言いつつも足掛け9回にも及ぶ長期連載になってしまった。
こんな長々としたリプレイにお付き合い下さった皆々様に厚く御礼申し上げたいと思う。

とゆーわけでインドネシアの主要な島々を占領し、資源ザックザクでウハウハとなった我がオーストラリア。
獲得した権益を守る為、戦力の大半は占領した島々の防御に当たらせた。
日本軍は年に2,3度、思い出したように守りが手薄な場所を狙って攻撃を仕掛けてくる。
それを追い返すためにどうしても戦力の大半を防備に裂かざるを得ない。東南アジアの戦線に戦力を送る余裕は無かった。
日本の空母機動部隊さえ叩く事ができれば島の防備などお構いなしに東南アジア戦線に助太刀できるのだがそれはかなわぬ願いである。
当の東南アジア戦線も連合国側に攻め込む意思は無いらしく既得権益であるインドシナから日本軍を追い出した後は中国国境線上にベッタリ張り付き、何年間も全く動かなかった。
つーかホントにやる気無いな連合側は。
まぁそんなところに助太刀に言ってもあんま面白くなさそうではあるが。

とゆーわけですっかり防備を固めた後は、時たまやってくる日本軍を追い返すだけの日々。
ひとまず日本軍にやられないだけの防備がそろった以上、本国と豪州領インドネシアはほぼ安泰である。こうなってしまえばほぼ平時と変わらない。
ここで腰をすえて海軍力の増強に走り、数年かけて強力な海上戦力を整え、日本軍と雌雄を決する。という選択肢も見えてきた。それも悪くないかとも思ったがしかし、我がオーストラリアは戦後の次の段階を見据え、別の道をとることにした。

そんなこんなで我々が南太平洋に引きこもっていた頃、中国大陸ではソ連の猛威が吹き荒れていた。
そして世界は赤く染め上げられた。
1945年4月にドイツを7月にはイタリアを併合し、ほぼヨーロッパを手中にしたソ連46年の2月には満州国を併合、ついで内蒙古の蒙古国も併合。悪路にもめげず、どんどん中国を飲み込み、遂には48年の2月にはとうとう中国国民党汪兆銘傀儡政権も併合してしまった。
相変わらず連合国は指をくわえてみてただけ。

これでゲーム的には共産圏の勝利が決定してしまったのだった。

なんか自分が全く関知しないところでゲームの勝敗が決まってしまうのもなにか虚しいものがあるな。
世界的視点で見た限り、今回のプレイの主人公はソ連だったわけである。
そのソ連とは一切戦端を開かなかった連合国側はそういう意味では脇役になるわけで、その連合国の端っこでうろちょろしていたオーストラリアは端役の端役と言う立場。
あ~、なんだかな~。
使えない上官をもった兵隊の悲哀とでもいえようか。

ユーラシア全域でソ連と国境を接した連合国側には何の動きも見られない。ソ連も中国を併合して満足したようだ、そこから連合国側に宣戦を布告することは無かった。
その二つの陣営が日本に大規模な攻勢をかけることも無く、共産圏、連合国、大陸権益をことごとく失った日本。そういった中途半端な三すくみの状態で新たな世界体制は築かれていったのだった。

これで今大戦の帰趨は決したのだった……。


……
………

世界大戦が、日本を巡る一連の小規模な小競り合いに収束した1950年11月15日。オーストラリア北岸の要衝、ダーウィン基地では物々しい厳戒態勢が敷かれていた。
夜陰に乗じて現れた輸送トラックの一団が基地のゲートをくぐる。そして、そのトラックの一団が基地の奥へ消えると、あたりには再び静寂が訪れた。
あの騒ぎは一体なんだったのだろう? いっときの厳戒態勢は基地に駐屯する兵士達のさまざまな憶測の的となった。しかし、真実は明かされぬまま時は過ぎ、やがて兵士達はその出来事を忘れていった。

1950年12月14日。帝都、東京。
首都圏を守る帝国陸海軍の航空隊は突然の攻撃に大混乱に陥った。
防空網に隙は無いはずだった。だが突如として東京の工業地帯が空襲に見舞われたのだ。
しかも壊滅的な打撃である。
被害の規模から見て相当数の敵爆撃部隊が進入してきているはず。そう見た防空司令部は爆撃部隊撃滅に迎撃戦闘機隊を緊急発進させた。
迎撃戦闘機隊はしかし、上空に敵のいかなる機影も発見することはできなかった……。

さかのぼる事、数時間前。ダーウィン基地の兵士達は見たことも無い閃光が4本、凄まじい轟音と共に天に向かって上っていくのを見た。

1950年12月14日。オーストラリアは世界に先駆け、ICBMの実用化に成功したのである。

新しい時代を見据えた我がオーストラリアの採用した新しい戦略だった。
ICBMの実用化にはそれ相応の研究とIC(工業力)40を必要とする。開戦当初オーストラリアのICは30も無かった。しかし猛烈な工業化への執念が功を奏し、この頃にはIC100を突破。これはソ連アメリカ、イギリスに次ぐ世界第四位の規模である。
そしてその工業力を下支えする資源は、新たに獲得したインドネシアの島々から搬入される。
今大戦を戦い抜き、我がオーストラリアは南太平洋の小国から押しも押されぬ工業大国へと変貌を遂げたのである。
そしてゲーム終了間近の1953年には世界に先駆け、原子炉を実用化させた。
これで我がオーストラリアはその気になれば核ミサイルすら製造できる技術を手に入れたのである。

この工業力と核抑止力でもって世界体制の中でのオーストラリアの地位も自然と高まっていくことになるだろう。更には戦後を見据えてソ連との国際関係は最高の200にまで高めておいた。今後は連合国と共産圏の重要なパイプ役としての役回りも期待される。
これまで単なる英連邦の一小国として国際政治の端役に徹してきたオーストラリアは、今後、世界に物申すことのできる発言力を持った国家として、20世紀の後半を国際政治の表舞台の中で活躍することになるであろう。
まぁ、それがオーストラリア国民にとって幸せかどうかは分からんけれど。

今大戦はオーストラリアにとって国際舞台の表側に躍り出る躍進の戦いとして記憶されることになる。