『初陣』 最終話

 消灯された艦内、当直兵士以外全てが眠りについている頃、しかしジローは未だハンガー内にいた。
 自分のバサーストのコクピットを開け、シートに浅く腰掛け、ぼんやりとしている。その手は力なくコンソールを操作し、メール通信記録を意味もなく、何度も開けたり閉じたり繰り返していた。リィナとのメール通信記録。

『絶対、生きて帰ろうね』
『今度も生きて帰ろう』
『もちろん!!』

 だが彼女は生きて帰ってはこなかった・・・・・・。
 むなしさが胸の中を支配していた。ポケットから指輪を取り出す。リィナの指輪。これを残して彼女は灰になってしまった。文字通り灰に・・・・・・。残ったのはこの指輪だけだったのだ。こんなことがあっていいのか。
 ジローは頭の中でひとりごちた。
 こうなってしまったのも自分のせいではなかったろうか? あの時、ハウンドがまだ生きていたことにもっと早く気がついていれば・・・・・・、いや、艦船攻撃が終わった時、気を抜かず、最初に襲い掛かってきたハウンドにもっと早く気がついていれば、こんなことには・・・・・・。
 悔やんでも悔やみ切れない。
 彼女は死んでしまったのだから・・・・・・。
 ジローの瞳から涙が溢れ出し、宙を舞った。
「おい、まだこんなところにいたのか」
 大きな黒い影がジローを覆う。影は身を乗り出し、コクピットを覗き込んだ。ジョセフだった。
「いつまでこうしているつもりだ?」
 ため息混じりにたずねるジョセフの言葉に、しかしジローは答えを返さなかった。沈黙が辺りを覆う。
「まぁいい。気が済むまでそうしていろ。それよりお前、リィナの指輪を持っているな?」
 その言葉にジローは怪訝そうな目を向ける。
「お前、あのコクピットから持っていったろう。見てたぞ」
 ジョセフはそういうと自分の手をジローに差し出した。
「それを受け取りに来た。今、リィナとフェリペの遺品整理をしていたんだ。そいつはリィナの遺品だ。遺族に返さなきゃいけない」
 リィナの遺品をリィナの遺族に返す、当然のことだ。ジローは自分の指につまんだ指輪を見つめ、しばらく黙り込んだ。
曹長
「なんだ?」
「この指輪。僕がこのまま持っていては駄目でしょうか・・・・・・」
 ジローはうつろな目でジョセフを見つめ返す。
「どうしてだ・・・・・・」
 ジョセフは眉間に皺を寄せ、表情を曇らせた。
「忘れたくないんです。リィナがこんな目にあってしまったことも、僕が殺したようなもんだ。だから、もう二度とこんな目に会わないよう自分に言い聞かせる為にも・・・・・・」
「リィナが死んだのは誰のせいでもない。誰も彼女は助けられなかったさ。殺したのはお前じゃないよ」
 ジョセフはやさしく声を掛ける。だがジローは声を荒げた。
「じゃあ誰のせいでリィナは死んだって言うんですか?」
「だから、誰のせいでも無いって言っているだろう・・・・・・」
 ジョセフはため息をつくように答えた。ジローは納得できないとばかりに黙り込み、顔を背ける。
「聞き分けの無い奴だな・・・・・・。今は戦争だ。敵にやられて彼女は死んだ。戦争が彼女を殺した、それでいいじゃないか」
「戦争戦争って、じゃあ、戦争って何なんですか!?」
 ジローは更に声を荒げた。
「どうして! こんな、戦争なんか・・・・・・」
 言葉が尻すぼみに消えていく。
「お前が戦争をどうだこうだと考える必要は無い。そういうことは政治家にでも任せておけ」
 ジョセフは不機嫌そうに言葉を返す。
「じゃあ、僕らは何も考えずに敵を殺せばいいとでも言うんですか!?」
「違う!」
「じゃあ、どうすれば!?」
 のどから搾り出すような悲痛な叫び。ジョセフはジローの悲痛な表情を見て、口を真一文字にしていたがしかし小さく息をつき、笑った。
「戦争をどうこう考えるのはお偉方の仕事さ。俺達の仕事は『生きて帰る事』。それだけでいい・・・・・・」
 ジョセフの笑顔、だが、何か色々なものが入り混じったような笑顔だった。ジローは何も言葉を返せなかった。
 そんなジローの手からジョセフはリィナの指輪をもぎ取る。
「だからコイツは遺族に返すんだ。お前が背負っていいものじゃあない」
 そう言って、ジョセフは背を向けた。
「お前にリィナの死を背負う必要は無いんだ。だったらこんな指輪も必要ないだろ?」
「で、でも・・・・・・」
 ジローは指輪を持ったジョセフの手をつかむ。
「僕は忘れたくない」
 だが、その言葉にジョセフは低い声で言い放つ。
「甘ったれるな。死ぬのはリィナだけじゃない。お前だけでもない。生き残れば生き残るほど仲間達はどんどん死んでいくんだ。これからお前はそれを全部背負うつもりなのか? そんなことができるとでも思っているのか? 何人も、 何十人も」
 静かながらも鬼気迫る口調だった。
「これから沢山の死を目の当たりにすることになる。自分が死ぬつもりが無いのなら仲間の死は覚悟しておくんだ」
 そう言うと、ジョセフはその場を離れようとする。だが、ジローは更に食い下がった。
曹長! あなたはこれに慣れろと言いたいんですか!?」
 その言葉にジョセフはハッチの縁をつかんで止まると、肩越しにジローを振り向いて、笑った。
「慣れろとはいわないさ。じき、平気になる・・・・・・」
 少し寂しげな眼差しを残し、ジョセフはその場から去った。
 ジローはしばらくジョセフが消えたその場所を見つめながら呆然とする。再び涙があふれた。そして重力の無い世界に身を任せたまま膝を抱き、その中に額をうずめた。

 消灯されたハンガー内、バサーストのコクピットに座り、あたりに薄明かりをもらしていたのはジロー一人だけではなかった。
「こんな遅くまで何かの作業ですか? 小隊長殿」
 ジョセフが顔を覗かせるとニニーは作業をしていた手を止め、彼に向いた。突然の来訪者に少し驚いたようだった。
「ええ、今日の戦闘のね」そう言って再び作業に戻る。「詳細を確認していたの。今後のために少しでも生かさないと……」
「精が出ますね」
「当然よ」そう呟くニニーの表情は強張っていた。「ところで、ジローは落ち着いたみたい?」
「まだ閉じ篭っています」
 ジョセフの返答を聞きニニーは小さくため息を残す。
「今晩中はあの調子じゃないんですかね」
 ニニーのため息にジョセフも苦笑で応えた。
「無理も無いわ……。正直なところ私だって……」
 そこまで言うとニニーはジョセフに向き、力なく笑った。幾分、疲れをうかがわせるような表情だった。
「仕方ないでしょう。小隊長殿も初陣でしたよね」
「そうね」
「俺もそうでした。初陣の日の夜は気が昂ぶってよく眠れなかったのを覚えてます。ましてや今日のような激しい戦闘の場合ならなおさら。色んなことが起きすぎてびっくりしているんですよ」
 ジョセフのいたわるような言葉にニニーは肩をすくめてまた、作業に戻った。
「あまり根を詰め過ぎないようにして下さいよ、じゃあ」
 ジョセフがそう声をかけ、その場を離れようとした時だった。
「戦隊長にお褒めの言葉を頂いたわ」
「え?」
「小隊で五機撃破の戦果は大したものですって。『あまつさえ、攻撃艇部隊の壊滅を救った英雄的行動に対し叙勲の申請』をして下さるそうよ」
 その言葉を聴いてジョセフは再び彼女に向いた。
「良かったじゃないですか。確かに、小隊長自身三機撃破の大戦果でしたし、勲章なんて俺達も励みになります」
「辞退しようかと思うんだけど……」
 思わぬセリフだった。
「どうしてですか?」ジョセフは身を乗り出す。「せっかくの勲章を……」
「私は部下を二人も失ったのよ」
「でも、敵を五機もやっつけました。二機失って五機やれば大したものだと思いますが?」
「足し算引き算なんかで考えられないわ。トゥエロ伍長もリィナも、私が勲章をもらう為に死んだんじゃない。もう、どうしょうも無いことは分かっているけど、私はこうも思うの、たとえ一機しか落とせなくても二人が生きていればって……」
「埒も無いことですよ」
 ジョセフはため息混じりにそう言い捨てる。
「分かっているわ。でも……」
「でも?」
「二人が死んだのは私のせいよ。部下の死の責任は指揮官が負うもの……」
 作業を進める彼女の手はいつの間にか止まっていた。重苦しい空気が流れていた。
「小隊長は万能じゃあありません。戦場ではどうしようもないことです」
 ニニーはうつむき、しばらくの間黙り込んでいた。ジョセフは彼女が唇を強く噛んでいるのを見た。
「そうね、私は万能じゃない。分かってるわ。だからこそ……」再び彼女の手が動き始めた。「自分の未熟さは補わなきゃね」
 言葉尻の最後の方に明るさが戻っていた。その明るさはどこか、彼女の中での開き直りとでもいえるものなのだろう。ジョセフは安心して笑みを見せた。
「いざというときは俺も助太刀させて頂きますって。だから、あんまり根を詰めすぎることだけはやめて下さいよ」
「分かってるわ。もう少ししたら私もこれを切り上げるつもり」
「じゃ、俺は先に休みます」
「ええ、そうして頂戴」
「それじゃあ」
「おやすみなさい」
「お先に」
 そう言ってジョセフはその場を後にしたが、すぐ、思い出したように顔だけを覗かせた。
「あ、そういえば」
「どうしたの?」
 ニニーは怪訝そうな顔を返す。
「勲章。貰ってやって下さいな」
 そういうとジョセフはニコッと笑った。ニニーも笑みを返す。
「分かったわ」
「そう来なくっちゃ。何せあなたは俺達の小隊長殿なんですから」
 ジョセフはそう残してその場を後にした。
 そして格納庫内を横切りながら『死なせたくない上官だな』と一人、心の中で小さく呟いていた。



                              


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