小説 『お盆休み』 その2

 きーんと冷えてしゃきしゃきとした歯ざわり、よく熟れた真っ赤な果肉。甘い味が口の中に広がる。
「香代ちゃん、ホラ、お塩ふりなさいって」
「お塩いらん」
「ふった方が美味しいわよ」
「いいの、いらん!」
 おばさんが塩を振ろうとすると香代ちゃんはそれを手で制した。そして大きく口を開けて大切りなスイカにかぶりつく。すると彼女の顔に笑顔が弾けた。
「あま~い!」
「香代ちゃん。お塩ふったほうがもっと甘くなるよ」
 俺が改めてそう言うと彼女は嫌そうな顔をする。
「いやだ。お塩しょっぱいもん」
「お塩はしょっぱいけど、スイカにふると甘くなるんだよ?」
 香代ちゃんは不機嫌そうに俺を見つめたがすぐにまたスイカに目を落とし、それにかぶりついた。
「あま~い!」
 俺の隣。縁側に腰掛けた彼女は、まるで見せ付けるかのようにスイカを頬張って見せた。
 強情な子だなァ。俺はおばさんに顔を向ける。困った顔をしていたのだろう、おばさんも苦笑いして頷いた。
「ホント、この子は強情よ。一体誰に似たのやら」
「やっぱり、香代に似たんですかね……」
 俺の口から何の気も無く飛び出た一言。その一言におばさんは少し驚いたような顔で俺を見つめた。それに気付いた俺も少し驚く。一瞬頭を横切る古い想い出。
 だが、おばさんはすぐに気をとりなおして先を続けた。
「そうかもねぇ。あの子も随分強情だったから」そう言って部屋の仏壇を見つめてから香代ちゃんに目を落とした。「この子も同じ血が流れてるんだもの、当たり前かもしれんねぇ」
 俺もチラリとその仏壇に一瞥をくれた。するとおばさんと目が合う。
「しんちゃん。お線香あげてく?」
「いえ……」
 俺は気まずくなって前の庭に向いた。
「いけない!」香代ちゃんの大きな声。「今日忘れとった!」
 香代ちゃんはそう言うや否やスイカを皿に置いて部屋に上がった。
「急にどうしたんだい?」
 俺はびっくりして香代ちゃんを見つめる。
「お姉ちゃんにお線香あげるん!」
 事情が飲み込めず俺はおばさんに向く。おばさんは俺の顔を見て、笑って答えた。
「香代ちゃんは毎日香代にお線香をあげとるんよ」
「毎日? 香代に?」
「お姉ちゃんとお話するんだと」
「お話?」
「私にはようわからんけどねぇ。子供は何か感じるのかもしれん。この子の生まれた時が時だし」
 おばさんは優しい眼差しで仏壇の線香をあさる香代ちゃんを見つめていた。
『この子の生まれた時が時』……そうだった。この子は香代の「生まれ変わり」だったのだ。

 香代ちゃんには姉がいる。いや、正確にはいた。彼女が生まれる前に事故で亡くなったのだ。その姉の名前は香代。香代ちゃんと同じ名前だった。おばさんは、……山下のおじさんも、香代の名前を残したかったのだろう、だから今、俺の目の前にいるこの子に「香代」と名付けた。
 香代が死んだという話を聞いたのは……、今でも覚えている。七年前の九月、俺が十三の時だった。その直前、夏休みに両親と帰省していた俺は香代と毎日のように遊んだのを覚えている。
 夏休みが終り、自分の家に帰ってしばらくしてから香代が死んだという話を聞いた。だが、当時はどうも実感が沸かなかった。毎年、夏になるたびに帰省して夏休み中一緒に遊んでいたのだ。ほとんど幼馴染と言っても良い、そんな香代が突然死んだと言われても余りピンと来ないのも当然だった。
 聞いた話によるとその直後におばさんの妊娠が判り、年が明けてしばらくしてから香代ちゃんが生まれたとの事だった。おじさんとおばさんの喜び様は尋常ではなく、そのままその赤ん坊に香代と名づけた。その意味で香代ちゃんは香代の「生まれ変わり」だ、と。そんな話だった。

「お姉ちゃんはずっとあたしを見守ってくれとるんよ」
 香代ちゃんはそう言って器用にマッチで線香に火をつけると、それを仏壇に供えチンとやった。リンの澄んだ音色が響き渡る。香代ちゃんは目を閉じ、手を合わせてなにやらぶつぶつと唱えた。
 お祈りを終えた香代ちゃんにおばさんが声をかける。
「香代ちゃん。お姉ちゃんは何か言っとった?」
「え?」
 香代ちゃんはおばさんを見て、それから俺を見るとニカッと笑った。
「よう知らん!」
 そう言って俺のもとへ駆け寄る。彼女は俺に身体を押し付けるように縁側に腰掛けると俺の腕を掴んだ。
「ねぇねぇ、シンタお兄ちゃん。スイカ食べたら川に行こっ!」
 上目遣いで甘えるように俺の腕を振る。俺は傍らの一升瓶に目をやった。
「え~、俺はこれからお墓参りなんだけどなぁ」
「大丈夫。ホラ! まだ一時やもん。川行ってからでも間に合うよ!」
 そう言って香代ちゃんはテレビの上の置時計を指差す。そちらを見れば、その通り。もっともな主張に俺は口篭もった。
「う~ん、でもなぁ……」
「行こうよ! 行こッ!」
 香代ちゃんは一層強く俺の手を振った。
「香代ちゃん。あんまりシンタお兄ちゃんを困らせちゃいけんよ」
 見かねておばさんがなだめにかかる。
「でもシンタお兄ちゃん明日には帰りよるって! そしたらもう川に行かれんのよ!」
 香代ちゃんは俺の腕を振り振りおばさんに言い返した。おばさんは困ったような顔をしてそれ以上なにも言わない。
 こりゃあこっちの負けだな。
「わかった、わかったよ」
 俺はそう言って頭を掻いた。
「ほんと!?」
 香代ちゃんの顔がパッと輝く。まったく、これだから子供にはかなわない。
「ああ、そうしよう。スイカ食べたら川に行こうな」
 そう言って俺は香代ちゃんの頭にポンと手を置いた。
「エヘヘ……」
 香代ちゃんは嬉しそうに笑うと早速傍らのスイカをたいらげにかかった。
「しんちゃん、ゴメンねぇ」
 おばさんが困ったような嬉しいような、そんな顔で謝った。俺は笑って足元の一升瓶をドンと縁側に置く。
「大丈夫ですよ。どうせお墓参りなんてすぐですから」
 おばさんは一升瓶に目配せすると、少し表情を曇らせた。
「その御酒。航一郎さんにかい?」
「え? あ、はい。まぁ……」
「航一郎さん。御酒好きだったからねぇ……」
「ええ、まあウチのおじいちゃんも酒好きですから。お供えと兼用だそうで」
 航一郎と言うのは去年の暮れにガンで亡くなった俺の伯父さんの名前だ。実は俺が今年帰省したのはこの伯父さんの墓参りのためでもある。
「そう、航一郎さんは村岡のおじいちゃんのお気に入りだったからねぇ。今でも一緒のお酒が忘れられんのかもしれんね。おじいちゃん、春先まで落ち込んどったから」
 それは俺も覚えている。これが子に先立たれる親の気持ちとでもいうのだろうか、伯父が死んだ時の落ち込み様ったらなかった。
「今はピンピンしとるけど……。でも、ホント、元気になってよかったわぁ」
「ちょっと元気過ぎて困りますけど」
 俺は少し苦笑しながら答えた。
「あはは、そうかもしれん。しんちゃんが帰ってきて益々元気になったんじゃなかろうか」
「かもしれないです」
 おかげで毎晩酒が抜ける事は無い。
「しんちゃん。今度はお父さんお母さんと帰って来なさいな。村岡のおじいちゃんもおばあちゃんも、きっともっと喜ぶわよ」
「ええ、まあ、機会があれば帰って来れるとは思うんですけど……」
 俺は少し戸惑いながらも答える。自分でも解っているが、つれない返事だ。少しおばさんに悪い気もする。
 実際、もう数年前から我が家と祖父母とは疎遠になりつつあった。仲が悪いとか喧嘩をしているというわけでは無い。文字通り、その機会が無いだけだった。思えば、ここ数年来、伯父の葬儀を除いてここへ帰ってきた事は無い。たまたま色々なことが重なって、ここしばらく帰省できなかった。
 俺が私立の進学校ヘの受験を決めた事もある。将来の学費の為に両親も共働きをはじめた。高校に入ってからも夏休みは夏季講習、冬休みは冬期講習と忙しい。里帰りをする暇が無いというのが正直な所だった。
 両親には仕事がある。今年、俺だけが帰って来たのは、やっと大学に入ることができて一息ついたのと、父親から伯父さんの墓参りをして来いと言われたのがことの顛末だった。
「だったら、来年は機会を作ってご両親も呼んで来なさいな。おばさんもまっとるよ」
 おばさんは笑顔で俺にそう言ってくれた。俺は、まあ、そうします。と何となく気の無い返事を返しながら、だったら今年も誰か死ななきゃな。などと不謹慎なことを考えていた。すすんで帰ろうという気は、まったく無かった。
「ごちそうさま!」
 香代ちゃんが元気よく皿をおばさんに差し出す。その上に乗ったスイカの皮は綺麗に実が無くなっていた。
「はい、おそまつさま」
「着替えてくる! シンタお兄ちゃん早くスイカ食べといて!」
 香代ちゃんはそう言い残すと部屋に上がり一目散に自分の部屋へと消えて行った。
「しんちゃん。じゃあその御酒冷やしとこうか? 航一郎さんも生ぬるい御酒より、よう冷えとるほうが喜ぶでしょ」
「え? ああ、そう言えばそうですよね。じゃあお願いします」
 俺が頭を下げるとおばさんは早速一升瓶を引っつかんで縁側を降りた。またあの井戸を使うのだろう、サンダルを突っかけ裏庭へ消えて行く。
 俺は残っているスイカをたいらげにかかった。