小説 『お盆休み』 その8

 おばさんとのお別れの挨拶も程ほどに俺は山下家を後にした。
 そして祖父母に見送られながら、俺は県道のバス停まで歩いた。
 バス停は県道を五分ほど登ったところにある。朝の柔らかな日差しは既に容赦無いぎらついた真夏の陽光へと変わりつつあった。荷物を担ぐ背中が重い。少し登った程度で顎が出る。
 ほどなく路線バスがやって来て俺はそれに乗り込んだ。クーラーは効いていなかったが直接日差しに晒されるよりは遥かにマシだ。動き出すと開け放たれた窓から涼しい風が吹き抜けすこぶる気持ちがいい。途端に汗が引いていった。
 俺は切符をしまおうとしてポケットの中の封筒に気がついた。香代ちゃんがくれた例の「手紙」だ。
 一体全体、何が書いてあるんだろう。おばさんは、たかがしれてるみたいなこと言っていたけど。
 俺は白いそれをしばし見つめてからおもむろに封を開いた。綺麗に三つ折りにたたんである手紙を取り出して開く。
 パッと中身を見て、俺は少し笑ってしまった。一言二言しか書いていないようだ。それに消しゴムの痕だらけだ。まったく、たったこれだけにどれだけ時間をかけてたんだか。
 息をついて手紙の解読にかかる。とりあえず「し」の字が「J」になっているのは解る。逆字ってやつだ。思わず笑みがこぼれる。だがそれを読み終えた時、俺の顔から笑みは消えた。
 その手紙にはこうあった。

 しんちゃんへ
 さようなら。
 ありがとう。

 俺は顔を上げた。
 香代からの手紙……。
 外を流れる緑の景色を見やる。黄緑から深緑まで様々な色をした鮮やかな緑が車窓を横切っていく。
「シンタおにいちゃ~ん!!」
 聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。香代ちゃんだ。
 香代ちゃんは県道に出て、あの裕樹君と一緒にこちらへ向かって両手を振っていた。
「またね~ッ!!」
 俺も笑顔で手を振る。道の縁に立つ二人と、そして香代ちゃんの肩に手をやり、その後ろで手を振る香代に。
 香代は笑顔だった。
『さよなら、しんちゃん。じゃあね』
 確かに、そう聞こえた。

すでに死んでしまった彼女の幻影を俺がずっと追い続け、それに囚われてしまっていた事を彼女は知っていた。
だからすっと俺を待っていた。本当のことを俺に気づかせるために。自分は死んでしまったんだよ、もう一緒にはいられないんだよ、と。
きっとやきもきしながら待ち続けてたんだろうな、先のない袋小路で途方にくれる俺のために。『世話の焼ける奴だ』って。

「じゃあな、香代。ごめんよ、ありがとうな」
俺は小さくそう呟いた。まったく、死んだ相手にまで心配かけて……、情けないヤツだ。

 瑞々しい緑に囲まれ、バスは県道を下って行く。開け放たれた車窓からは涼しい風と、相変わらずなけたたましい蝉の声が流れ込んできていた。
ああ、あの蝉はなんて名だったろう。長く高い音を伸ばした後、短く低い音で鳴く声。そういえばおじいちゃんに聞きそびれちゃったな。まあいいさ、どうにか調べるさ。

 俺の心の内から前向きな精気が湧き出す。今まで閉ざされていた目の前がぱあっと開けて行く、そんな感覚に自然と笑みが滲んだ。





                                               おわり